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宿なし車中泊の楽しい車旅 庶民の足(軽自動車)に重税 [車旅]

現内閣は軽自動車の四輪だけではなく、原付を含む二輪車も増税の対象に
しています。

軽自動車.jpg
軽自動車

13年度の「与党税制大綱」では消費税10%の時点で「自動車取得税」
を廃止し、その財源を関連税制の見直しで確保するとしました。

日本の軽自動車税でアメリカはTPP(環太平洋連携協定)交渉にからん
で、軽自動車の優遇が日本市場でのアメリカ車の販売を妨げていると、筋
違いで言いがかりのような要求をしてきました。

今回の軽自動車などの増税は「取得税廃止」の財源確保とアメリカの無茶
な要求に答える「一石二鳥」の増税案です。

軽自動車税で四輪乗車の現在の自動車税は年7200円。

「自動車取得税」と「軽自動車税」の税収は、ほぼ同額のようです。

単純に計算しても「自動車取得税」廃止の穴を埋めるために「軽自動車税」
は14000円位になりそうです。

軽自動車はかっての自転車のように、国民にとって欠かせない「足」にな
っています。
日本自動車工業会の最新の「軽自動車の使用実態調査報告書」によると

(1) 女性や高齢者の保有率が高い。
(2) 所得が低い過疎地ほど保有率が高い。 
(3) 鉄道・バスなどの公共交通機関の減少が軽自動車の保有率を高める。
(4) 保有者の72%が「ほぼ毎日使用」し約80%が通勤・通学・買い
   物に使っている。
(5) 狭い道路が多い地域ほど保有率が高い。

このように、軽自動車が庶民や地方の生活必需品となっています。

軽自動車税の増税は「弱い者いじめ」で、低所得者ほど所得に対する負担
割合が高い消費税増税と同じで、まさに庶民を無視した悪法です。

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宿なし車中泊の楽しい車旅 夢街道を走る(2) [車旅]

今日は宗像市(赤間宿)をゆっくり散策してください。

赤間を出発しのどかな田園風景を楽しみながらドライブして鐘崎に到着。
活魚センターで大きな水槽の中を悠々と泳ぐ玄界灘の魚、このお魚を見
た後は「道の駅むなかた」待望のお買い物とお食事。

赤間宿

赤間宿.jpg
赤間宿

赤間宿は筑前二十一宿の一つで、北へ行くと芦屋往還、東へ行くと長崎街道
に通じる中筋往還となる交通の要所でした。

かつては、宿内に藩主、長崎奉行、諸大名が休泊する御茶屋(本陣)、家臣
などのための町茶屋(脇本陣)、問屋場、郡屋、高札を掲げる制札場、番所
などの公的施設がありました。

町家は妻入と平入の両方が混在し、屋根の形や二階の窓の形も様々で、現在
でも往時の面影をまちのいたるところでうかがい知ることができます。

鐘の岬活魚センター 赤間宿~車10分

活魚センタ-.jpg
活魚センタ-

水槽いっぱい泳いでいる魚を見るのも楽しいですね、ここの一押しはなんと
言っても、生きたまま持ち帰ることができる「いかパック」ですね。

道の駅 むなかた  活魚センター~車10分

道の駅むなかた.jpg
道の駅むなかた

宗像の特産品を買うならココ!玄海灘でとれた新鮮な海産物や、豊かな自然
にはぐくまれた農産物など、品揃えバッチリ!

おふくろ食堂はまゆうでは、地元の食材をふんだんに使ったメニューを存分
に楽しめます。

宗像大社 道の駅むなかた~車10分

宗像大社.jpg
宗像大社

宗像大社の御祭神

宗像大社は天照大神の三柱の御子神をおまつりしています。
三女神のお名前は 田心姫神(たごりひめのかみ)、湍津姫神(たぎつひめのかみ)、
市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)と申し上げ、
田心姫神は 沖津宮(おきつぐう)、湍津姫神は 中津宮(なかつぐう)、
市杵島姫神は 辺津宮 (へつぐう)におまつりされており、この三宮を総称
して「宗像大社」と申します。

鎮国寺 宗像大社~車5分

鎮国寺.jpg
鎮国寺

弘法大師空海ゆかりの寺。
梅・桜・つつじ・もみじ・など一年を通して花を楽しむことが出来るお寺です。

南郷 原町  鎮国寺~車で25分

原町.jpg
原町

原町は筑前二十一宿の赤間宿と畦町宿の中間点にあるまちで、往時は籠かき達
が客まちをする休憩所であったといわれています。

また、近くの許斐山が聖地的な山であったことから、地域の巡礼者が行交った
門前町的なにぎわいがあったとも考えられています。

特に、近代初頭から戦争前後にかけて地域の中心として栄え、多種の商家や村
役場も位置していました。

現在の原町にはこのころのまちなみと周囲の緑が一体となった魅力的な景観が
残されています。

まちの中では、有名画伯の生家美術館をはじめ、古民家を活かしたギャラリー、
店舗、飲食店が営まれており、まちなみを活かしたまちづくり活動が活発な場
所でもあります。

ゆっくりと散策されることをお勧めします。


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宿なし車中泊の楽しい車旅 夢街道を走る(1) [車旅]

今日も前回に続き北九州の唐津街道の木屋瀬宿~猿田峠~赤間宿~畦町まで
を走ります。


大きな地図で見る

福岡県北九州市八幡西区木屋瀬3丁目16?26(木屋瀬宿)
1. 県道280号線を南東に進む 130 m
2. 右折してそのまま 県道280号線 を進む 500 m
3. 中島橋西(交差点) を左折して 県道27号線 に入る 1.2 km
4. 植木(交差点) を右折して 県道29号線 に入る 13.4 km
5. 右折する 45 m
6. 右折する 48 m

15.3 km ? 約 29 分

福岡県宗像市石丸 (赤間宿)
7. 西に進む 48 m
8. 左折して 県道29号線 に向かう 45 m
9. 左折して県道29号線に入る 250 m
10. 石丸(交差点) を右折して 県道463号線 に入る 230 m
11. 冨地原(交差点) を右折して 国道3号線 に入る 7.4 km
12. 八並(交差点) を左折して 県道530号線 に入る 1.7 km
13. 畦町東(交差点) を右折して 県道503号線 に入る 500 m
14. 左折する 110 m
15. 右折する 35 m

10.3 km ? 約 17 分

福岡県福津市畦町385(畦宿)

唐津街道

木屋瀬宿を出て、天神橋入口の植木交差点を右折して県道29号線に入ります

県道29号線は、新幹線、高速道路をくぐって次第に登り坂となり永田天満宮
の前を過ぎると間もなく猿田峠(標高77m)です。

猿田峠を道なりに下り、国道3号線をくぐって直進すると、JR教育大前駅
前が「赤間宿」跡です。

赤間宿.jpg
赤間宿跡

「赤間上町交差点」には赤間宿の案内板が建てられています。
「赤間上町交差点」を左折すると、道の両脇に古い街並みが大切に保存され
ています。

「赤間宿」の出口には「構口跡」というバス停がありますが、構口跡を示
すものは何も残っていません。

「構口跡」バス停を過ぎ、短い上り下りのあと、県道503号線は野坂交差
点で国道3号線を横切り、「原町」方面に入っていきます。

「原町」にも所々に「唐津街道・原町」という表示があるだけで、古い街
並みを偲ばせるものは殆どありませんでした。

原町を過ぎると畦町宿までの間に小さな峠がありますが、峠を下ると「月
ケ池」手前の右側に「太閤水」があります。

「月ケ池」の先から左手の細い道に入り、県道530号線を横切って「西郷川」
にかかる「畦町」を渡ると「畦町宿」に着きます。

畦町宿は宿泊のための宿場ではなく、昼飯や休憩のための場所だったそう
で、今でも古い家がいくつも残っています。

県道503号線を走り、次の「青柳宿」跡を目指します。

「太閤水の案内板より」

天正15(1587)年3月、九州征伐の軍勢をおこした太閤秀吉は、島津義久降
伏後帰途につき、肥後~筑後を経て筑前大宰府に入り、同年6月7日箱崎に到
着しました。

箱崎滞陣中、九州の国割りや博多の町割りを行い、再三度の茶会を催し、
連歌などを興行して7月1日朝、箱崎を出発しました。

途中青柳(古賀町)辺りで昼食後、おりからの猛暑の中を宗像(城山)を目
指して軍勢を進め、ここ山の口峠にさしかかった際、あまりの暑さに水を求
めたそうです。

秀吉は、ここの清冽な涌水を汲ませて喉をうるおし大変喜んだと伝えられて
います。

以来この清水を里人は「太閤水」と呼び、街道を行き交う人びとの飲料水と
なっています。




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宿なし車中泊の楽しい車旅 夢街道を走る [車旅]

今日は私の父親の故郷、佐賀県の唐津街道を訪ねます。

古い話ですが、私は終戦を台湾で迎えました、まだ2歳でその当時のことは
まったく覚えていません。

父が台湾で、そこそこの建築設計事務所を持っていて日本人居住地域でも恵
まれた生活をしていたそうですが、終戦の年に父は病気で他界・・・

26歳だった母は、広い土地家屋・貴金属・財産の殆どを没収され、3人の
子供を連れて日本へ引き揚げて帰ってきました。

父の里、佐賀県の実家に父の遺骨を持って行き、実家のお墓に入れて貰うよ
うに頼みに行ったところ、兄嫁に断られた因縁の場所です。

父の実家を知っている母も亡くなり、古い住所を頼りにインターネットで調
べ67年ぶりに父の実家を探しに出かけたのが「唐津街道」という所でした。

街中に佇む細川忠興の小倉城

小倉城は小倉駅からも近く歩いても10~15分位です。堀のすぐ前は賑やかな
繁華街で、江戸時代の城との対比も面白いものです。
四階と五階の間に庇のないユニークな唐造りの天守閣がゆったりとした城内
に映えます。

今日は私の父親の故郷、佐賀県の唐津街道を訪ねます。

古い話ですが、私は終戦を台湾で迎えました、まだ2歳でその当時のことは
まったく覚えていません。

父が台湾で、そこそこの建築設計事務所を持っていて日本人居住地域でも恵
まれた生活をしていたそうですが、終戦の年に父は病気で他界・・・

26歳だった母は、広い土地家屋・貴金属・財産の殆どを没収され、3人の
子供を連れて日本へ引き揚げて帰ってきました。

父の里、佐賀県の実家に父の遺骨を持って行き、実家のお墓に入れて貰うよ
うに頼みに行ったところ、兄嫁に断られた因縁の場所です。

父の実家を知っている母も亡くなり、古い住所を頼りにインターネットで調
べ67年ぶりに父の実家を探しに出かけたのが「唐津街道」という所でした。

街中に佇む細川忠興の小倉城

小倉城は小倉駅からも近く歩いても10~15分位です。堀のすぐ前は賑やかな
繁華街で、江戸時代の城との対比も面白いものです。
四階と五階の間に庇のないユニークな唐造りの天守閣がゆったりとした城内
に映えます。
小倉城天主閣.jpg
小倉城天守閣
ogura.jpg
城主細川忠興の別邸

唐津街道

長崎街道の小倉を起点として二つ目の宿場「木屋瀬宿」から西へ折れて赤間
に出て、国道3号線の内側を畦町~青柳~箱崎~博多と通って福岡に出るのが
内宿通りと呼ばれています、

また、江戸時代に参勤交代のための道として現在のような唐津街道が整備さ
れており、当初は陸路で若松までのぼり、若松から大阪まで船で参勤してい
ましたが、その後、若松からの船による参勤が禁止されたため、赤間から長
崎街道の木屋瀬、黒崎の陸路に変わっていったそうです

唐津に至るには更に海岸沿いを西へと進みますが、北九州の若松から芦屋を
も経て赤間へ至るルート等も唐津街道と呼ばれているようです。

その他にもいろいろ「唐津街道」と呼ばれている道路はあるようです。

畦町までは、猿田峠を始めとして小さな峠もいくつかありますが、その後は
海岸通りが多く、平坦な道が続きますので気楽なドライブを楽しんで下さい。
ださい。

また、北九州から唐津まで、ずっと海岸線が続いているため、古代から大陸
との交流も多く、たくさんの遺跡が散在していることでも有名です。

戦国時代には秀吉が朝鮮出兵の際に、その前線基地として唐津街道の終着地
近くの呼子に名護屋城を築きました。

そこに徳川家康以下全国から諸大名武将を集結させ2度にわたって朝鮮へ侵
攻しています。

その時も多くの武将達が、この唐津街道を行きかったといわれています。


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宿なし車中泊の楽しい車旅 雲の上の町 ゆすはら [車旅]

今日ご案内するのは、坂本龍馬が26歳で土佐藩を脱藩し新しい日本
を築くため旅立ったち梼原にある「道のゆ駅すはら」です

道の駅ゆすはら.jpg
道の駅ゆすはら

脱藩の道 
坂本龍馬をはじめ、土佐勤王党、天誅組、忠勇隊に参画した梼原出身
の志士、吉村寅太郎、那須信吾、那須俊平、掛橋和泉、中平龍之介、
前田今日繁馬たちは、維新を夢見て決起し、大いなる使命感に燃えながら
野越、神根越、化粧坂、そして国境の九十九曲峠、韮ヶ峠への道を幾
度となく往来したといわれます。

脱藩の道.jpg
脱藩の道

志士たちの多くは、志半ばにして不遇な最後を遂げてしまいましたが、
彼らの生きざまは、私たち現代人の心を捉えてやみません。

維新の道
幕末の風雲急を告げる文久2年(1862)春、坂本龍馬は、勤王郷梼原から
那須俊平・信吾父子の案内で盟友澤村惣之丞とともに、回天の偉業を夢見
て脱藩しました。

この地からも吉村虎太郎、前田繁馬、中平龍之助が国境を越え維新の動乱
の渦中に身を投じたのです。

八志士の群像.jpg
八志士の群像

いま山中に残る脱藩の道を行くとき、新しい時代の到来を信じ、大きな夢
を抱いて峻険を掛け抜けた男たちの決意が偲ばれます。

「維新道の」は、まさに日本の未来を切り開く希望の道だったのです。
昭和61年、この道の道100選」に選定されました。


そのほかこの「道の駅ゆすはら」は、日本3大カルストに数えられる四国
カルストの麓に位置しています。

自然を生かして作られた公園には、森林に関する使用を展示した森林生態
系学習館や研修室・木工室を備えたきつつき学習館などが設置されています。

その他、ジャンボ滑り台、キャンプ場といったレジャー施設や、町内に残
っていた茅葺き屋根の水車小屋を復元したものなど、昔の生活様式や自然
に関する知識を遊びながら学べるネイチャーランドとなっています。

カルストとは石灰岩などの水に溶解しやすい岩石で構成された大地が雨水、
地表水、土壌水、地下水などによって侵食されてできた地形(鍾乳洞など
の地下地形を含む)のことです。


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宿なし車中泊の楽しい車旅 日本のジオパーク1号 [車旅]

今日ご紹介するのは国内第1号のジオパークに認定された島原半島にある
「道の駅 みずなし本陣ふかえ」です。

miznasi3.jpg
道の駅 みずなし本陣ふかえ

ジオパークは、美しい自然景観や学術的価値を持つ地層を用いて、その土
地や地球の成り立ちを知り、それらと私たちとの関わりを楽しく正しく学
び、感じることができる自然公園です。よく似たしくみに、国立公園や国
定公園などがあります。

世界には、世界ジオパークネットワークが認定した「世界ジオパーク」が
あります。
現在その数は世界27カ国92地域(2012年9月現在)で、日本からは島原半島
(長崎県)を含め、糸魚川(新潟県)、洞爺湖有珠山(北海道)、山陰海岸
(鳥取、兵庫、京都)、室戸(高知県)の5地域が、世界ジオパークに認定
されています。

大昔から火山活動によって形作られてきた島原半島はまさに人と火山が共生
する場所です。

みずなし普賢岳.jpg
普賢岳の溶岩ドーム

「道の駅みずなし本陣ふかえ」は平成の噴火で水無川沿岸を襲った土石流で
埋もれてしまった民家を保存し、噴火の傷跡を後世に伝えると共に、地域復
興の拠点になることを目的に「本陣」と名付けて平成11年4月にオープン
しています。

みずなし.jpg
土石流で埋もれた民家


被災家屋が被災地にそのまま残っていることはとても珍しいケースで国内は
もちろん東南アジアや世界各国からも見学者が訪れ、類型で900万人を超
えたそうです。

みずなし1.jpg

みずなし3.jpg
土石流で埋もれた民家

この島原半島自体が焼く430万年前におきた海底火山の噴火をはじめとす
る火山活動で出来た場所です。

駅の売店には、火山灰を含む肥沃な大地が育てた農作物がたくさん並びます。

火山は、人々の生活を支え、時には大きな災害をもたらします。

そうした自然の成り行きの事実を改めて気づかせてくれる、貴重な「道の駅」
なのです。


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宿な車中泊の楽しい車旅 花は人を幸せにする。 [車旅]

今日ご紹介するのは、
滋賀県東近江市の「道の駅あいとうマーガレットステーション」です。

道の駅あいとう.gif

この駅はのどかな田園風景の中に建つ道の駅で、「花のある田園つくり」
コンセプトに1995年に誕生しました、

この地域(旧愛東町)は「田園」と書いて「まち」と読む活動があり「愛の
田園(まち)」がキャッチフレーズでした。

花の他に果物や野菜など地元農家手作りの品や加工品などを販売しています。

あいとう マーガレット.jpg

農家の主婦は「生きがいができた」と花つくりを始め、生花やドライフラワ
ーをこの駅に出荷して目を輝かせておられました。

消費者の心に届く生産者の意気込み、田園の道の駅はそれをつなぐ役割を果
たしているのですね。

地元の奥さんはビニールハウスでハーブを育て娘さんと一緒に素敵なリース
を作っていました。

直売館の売りは・地元産の野菜・花・果物と季節のものは勿論のこと、生花・
ハーブも豊富に取り揃えています。

あいとう直売館.jpg
あいとう直売館内
地元の牛乳や果物、野菜。米粉などが原料の手作りジャムやクッキー、パン・
ジュースなども販売しています。
中での人気なのが旬の果物や野菜を使ったジェラート、新鮮な材料でその朝に作るからこその滑らかな口あたりとさっぱり感は老若男女を問わず
大人気でした。

ラプティのジェラート.jpg
ラプティのジェラート


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宿な車中泊の楽しい車旅 景色と人が自慢の「道の駅四万十とおわ」 [車旅]

今回は高知県の「道の駅四万十とおわ」を紹介します。

道の駅とおわ.jpg

住所:高知県高岡郡四万十町十和川口62-9
tel :0880-28-5421
営業:8:30~17:00
食堂:9:00~16:00(水曜バイキング11:00~14:00)

道の駅のパンフレットのトップに「風景と人が自慢です」と書かれています

四万十の大自然の恵みを受けこの土地を愛する人たちが暮らす場所を尋ねる
ことは旅をする者にとって楽しいものです。

魅力的な商品を作り出すのも、大自然の景色を守るのも、やはり「人」です。

ここ「道の駅四万十とおわ」の人気の秘密は地元の人が守りついでいる、人・
物を大切にしている「人間力」にあると思います。

「道の駅四万十とおわ」は日本最後の清流とも言われた四万十川中流沿いに
ある道の駅。

地元の特産品を提供するだけでなく、「四万十川に負担をかけない物つくり」
を前提に、この地方で昔から作られてきた農作物を使った新しい商品開発を
手がけながら、環境への配慮を柱に取り組んでいます。

その一つが新聞バッグです。
地元の主婦が考案し、新聞紙と糊だけで作ったそうです。

作り方レシピ入りの物もあり、デザイン性の高いエコバッグとして国内だけ
ではなく、海外でも注目されているようです。

とおわエコバxtugu.jpg

今では県外からも多数訪れ、お茶・お米・しいたけ・くり・・・・・
地元の名産品が大人気になっていました.

ここしかない物つくり。

四万十川流域で採れたものを、自分たちで売る。このことを原点に、道の駅
とおわのオリジナル商品は四万十川の素材を使った商品の開発、加工、販売、
流通までを一貫しておこなっています。

「ここしかないもの」をめざし、四万十川に負担をかけないものづくりを生
産者の皆様と一緒につくりだしています。

とおわ市場

しまんと青空マルシェ
地元にこだわり、生産者の顔が見える直売所「とおわ市場」。
生産者の皆さんが育てた、 地産地消の採れたて野菜や加工品が並びます。
中心となるのは、「十和おかみさん市」 の皆さん。自分たちが普段食べてい
る安心・安全な野菜や加工品を出荷しています。
川の幸は天然鮎や天然川エビ、山の幸は椎茸や山菜、畑の幸は野菜やお米。
自然のめぐみばかりです

とおわ市場.jpg

とおわ食堂

とおわ食堂は、十和地域の農林産物の素材をメインに四季折々のメニューを
提供しています。
山の幸、川の幸の四万十素材そのままの良さを楽しんでいただく食堂です。
四万十川の天然鮎が食べられます。
この食堂ではとおわ市場の野菜をふんだんに使いますので、「誰が作ったの
か」がわかる安全な食材です。
また、とおわ食堂テラス席 からの四万十の眺めは絶景です。
料理と風景の両方を同時にお楽しみいただけます。

とおわ食堂.jpg





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宿な車中泊の楽しい車旅 遊んで泊まれる道の家 [車旅]

今日は食べて・遊んで・泊まれる道の駅「うみてらす名立」の紹介です。

新潟県の上越JCTから富山方面へ北陸自動車道を走ると多くのトンネルを
くぐります。

このトンネルの土砂を使って海を埋め立て、そこに「道の駅うみてらす名立
が作られました。

道の駅名立て.jpg

目の前の海、日本海に沈む夕日の美しさは例えようがありません。

開業当時(2000・7)から、日帰り浴場や、レストラン・売店からなる
施設でしたが「ゆっくり楽しみたい」という要望に答え、翌年ホテルもオー
プンし、今年は人口温泉装置も導入され、年間40万人以上訪れる人気の駅
になりました。

日本海のとれたて海の幸

海水・ミネラル水を使ったプール

いくつものお湯が楽しめるお風呂

どのお部屋からも夕日が見える

など、魅力満点の道の駅「お正月は道の駅でお風呂に入っておいしいもの食
べてのんびりしてきます」そんな会話が聞こえる「うみてらす名立」です。

宿泊

ホテル宿泊時には施設内にある鮮魚市場から、夕食に並ぶ焼き魚を自分で選
ぶことができ、名立港の新鮮な海の幸を満足するまで堪能できます。

名立て夕食選び.jpg名立て夕食.jpg


お風呂

日本海を一望できる展望露天風呂をはじめ、ヒノキ風呂や日替り風呂など7
種の浴槽とサウナが楽しめます。
なかでもジャグジーについては近隣一番の強さで、リピーターも多い。

名立てお風呂.jpg

ぜひ一度訪れたい道の駅ですね。


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宿な車中泊の楽しい車旅 道の駅ものがたり [車旅]

全国に1014ヶ所ある道の駅、人気の道の駅の秘密を探りましょう。

今回は阿蘇外輪山の南西側すそ野、上益城郡山都町(旧矢部町)に、全長
79.64m、橋幅6.65m、橋高21.43m(昭和59年3月の通
潤橋修理工事報告書より)の堂々とした「通潤橋(つうじゅんきょう)」
という、大きな石橋があります。

通潤橋1.jpg

この橋は江戸時代ペリーの来航騒ぎの最中、安政元年(1854)矢部
手永(てなが)惣庄屋(そうじょうや)布田保之助(ふたやすのすけ)の
企画、石工丈八(じょうはち)達の技術、矢部郷住民の献金と労力奉仕の
もとに完成した記されています。

この橋は人を渡す橋ではなく、橋の上に石造パイプを3列並べた通水管を
通し、水を渡す水路橋であです。

水路は水の吹上口が取入口より約6m低くなり、逆サイホン(注)とも呼ば
れる連通管によって対岸に水を送る特異な構造になっています。

通潤橋2.jpg

アーチ橋自体の技術史上、また文化史上貴重な遺構、極めて重要な建造物と
認められ、昭和35年2月9日に文化財保護法の規定により、国の重要文化
財にも指定されました。

むかしここ白糸台地に住む民衆は水不足に悩まされ、灌漑用水はおろか飲み
水にも事欠く生活でした。

江戸時代、民衆を救う為に時の庄屋、布田保之助が “肥後の石工” の高い
技術を用いて築いたのがこの “通潤橋” で、橋の長さ75.6m、高さが
20.2mあります。

約6千個もの石材を組み合わせた石造りアーチ水道橋として日本最大級で、
“国指定の重要文化財” になっています。

送水管に堆積した泥や砂で送水管が詰まるのを防ぐために定期的に放水され
ていたのですが、これが今では貴重な観光資源となり、毎週土日の正午に放
水されます。

予約をすれば1回10,000円での有料放水もあるそうです。
(以前は5,000円だったのに値上がりしている!)

その通潤橋の前に「道の駅 通潤橋」があります

道の駅通潤橋.jpg

まず最初に物産館 “虹の通潤橋” があり、広い店内には色んな珍しい特産
品がありました。

その他に“食事処いしばし”や通潤橋史料館”ゆっくり見て回れますが資料
館は有料でした。

その前に恐竜らしき大きな3体の像が飾ってありましたが、ここ旧矢部町で
は毎年9月の第一土日に “八朔祭り” というのが催されます。

通潤橋恐竜.jpg

豊作祈願の祭りとしてこのような巨大な大造り物が町を練り歩きま.





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